5月27日 事件の背景

新聞をとっている頃、ある傾向のある事件の切り抜きをしていた。

 

そのスクラップブックを見るに、ある傾向とは社会的に追い詰められ行き場を無くした人が起こした事件であるということ。

 

例えば、介護に疲れた人がその親を殺してしまっただとか、両親の執拗な教育に疲れ親に手をかけた子供だったり・・・

 

誰が悪かったのか、誰も悪くないのか、みな悪いのか。

 

法的には処理できることなのだろうが、そこに裁きを下すことで何かが解決するわけでもなく、根本的な問題は他に残ってしまっている。

 

色々な部分でズレが少しずつ大きくなってしまっている。

 

システムを構築すれば、そこには必ずバグはあり、そのバグを治すための追加プログラムを組み、またバグが・・・

 

ある一定のバグ回避は追加プログラムで解消できるだろうが、度重なれば、どこかで矛盾が生じてしまう。

 

「なぜ残忍な事件が起きてしまうのか?」と問いかけられれば、その加害者の人間性や心理状態をあらわにしている。

それも一理はあるだろうが、さらにもう一つ掘り下げて

「なぜそのような心理状態になってしまったのか?」と問うて欲しい。

 

たぶんそこには気が狂う様なトートロジー的な無矛盾性の海が広がっているのだと思う。