公平な機会均等法の不変性

「公平」とはどういった意味か?

 

パラリンピックを楽しんでいる方には水を差すような話ですが・・・

 

義手、義足の技術革新が目まぐるしいと聞いている。
それによる記録の向上も一方ではあるようだ。

 

ただ、その技術は世界共通で進歩していることなのでしょうか?

 

もちろん、技術革新は良いことだとは思いますが、
世界大会に属する競技大会でもあるので、そういった高い技術が詰め込まれた義手義足を手に入れられる国がそうそういくつもあるとは思えないのです。

 

そんななかで、技術が進んでいない国に所属する選手は、参加したくてもあきらめてしまう方もいるのではないでしょうか?

 

また、JPCのHPを参照すると下記のように記載されている。

 

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※IPC発表の英語表記は「Equality」でありその一般的な和訳は「平等」ですが、「平等」な状況を生むには、多様な価値感や個性に即した「公平」な機会の担保が不可欠です。そしてそのことを気づかせてくれるのがパラリンピックやパラアスリートの力である、という点を強調するため、IPC承認の下、あえて「公平」としています。
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ここでいう「『公平』な機会の担保」とは何か。

 

それは捉えようによっては、技術の無い国を浮き彫りにします、という表現を伴ったIPCの表明とも聞こえかねない。

 

障碍を持った方が豊かな暮らしをできることはとても良いことだと思いますが、ことIPCが掲げる象徴の一つに「公平」という価値を掲げている点について頗る懸念を抱きました。

 

もしここで「公平」を適正に判断するのであれば、技術レベルとして低い方に合わせることが「公平」になるかと考えます。
そのような公平性をもちいれば、それこそ義手義足についての世界全体で見た時の技術はこの程度なのか、とも考える機会になるでしょうし、さらには各国のレベルの違いからその技術格差をどのように無くしていくかといったもっと幅広い視点で問題をとらえることができる良い機会になると思います。

 

IPCが掲げる「Equality(平等・公平)」とは一体なんなのか私には理解が及びませんでした。

 

そして、この問題の根には近代以前の宗主国と従属国の関係性がどこか残っているように感じてしまいました。

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こういった問題があると考えているのですが、実際に障碍をお持ちの方はどのように考えているかも気になります。

 

最後に大きなお世話ですが、
もし問題を感じているのであれば、お国も世界も多様性を叫んでいるわけなので、大手を振って、大いに主張すべきとも思います。