愚者の世間

 

私が愚者であることに間違いはないだろう。

 

世間知らずと言われて、30年。

はて、世間とは一体なにかな、と考え続けている。

しかし、考えても、わからない。

これが愚者の末路である。

 

賢者は言う。

おまえは工事現場で働いたことがないだろう。

汗水垂らして仕事してみろ。

 

愚者は思った。

苦労は買ってでもしろということなのだろうか。昨今の愚者の事情を言えば、生きているだけで苦労なのに、わざわざ買うまでもない。

行動と経験に即するもの、ということが世間という一領域を論じているのならば愚者の陥りやすい思考迷路から抜け出す方法論の一途になることはわかる。しかし、なぜ工事現場なのか、なぜ肉体労働に限定されるのか。愚者にはそれがわからない。

 

賢者は言う。

おまえは気が利かない。

そんなことでは生きていけない。

 

愚者は思った。

そんなことはもう知っている。そして実際に死の淵で愚者は呑気にもケンケンパをして遊んでいるのである。だから愚者なのである。気を利かそうにもどうしたらいいのかもわからない。それが精神病です、の一言で片付けられればどんなに楽だろうかとすばらしい言い訳が愚者の頭を過ぎったが、医者に「あんたはグレーゾーンだよ」といわれたことを思い出して、さらなる愚者像は大きくなったのである。

 

愚者は自分のことでいっぱいである。

賢者達は字のごとく賢く、他人様のことまで考えているのである。

そこまで愚者の脳が活発に動いてくれればいいのだが、それも字のごとく愚鈍なのである。これまさに自己中というものだ。

しかし、こんな愚者にも手を差し伸べてくれる賢者もいる。これをどのように感謝を表現したらいいのかもわからない。というのが愚者、冥利に尽きる、というやつだ。

 

そんな愚者の得意なことは人を怒らせることでもある。

しかし、怒り出した人は止められない。もう手がつけられないのである。愚者のどの言葉に反応したのか、確認しようにもどうしようもないのだ。賢者が怒るということは、愚者が嘘を言ったか、また真実を言ったかのどちらかであることは間違いがないのだが、怒る賢者にそのどちらなのかを確認することもできないのである。

 

愚者について、書き始めればきりがないので、

最後に「愚者の唄」をうたって終わろうと思います。

 

ぐしゃぐしゃ

ぐちゃぐちゃ

それは愚者の頭の中

ぐしゃぐしゃ

ぐちゃぐちゃ

Gucciは高いブランドバック

バック開けたら飛びだしたのは

スパッツ姿のグリコの兄さん

一粒食べれば1万マイル

兄さん、愚者と歩いてる

はやく一粒頂戴よ

君の隣に座ってる

あの子もこの子も

ヒーローだ

ヒーロー、ヒーロー

オーイエー

ハッピー、ハッピー

サイエンス