「持続可能な社会」とは一体、誰の/何のための活動か

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 「持続可能な社会」とは一体、誰の、何のための活動なのでしょうか?
 
どこもかしこもSDGsであふれて気持ち悪いです。
人間がそこまで存在し続ける意味も分からないのに、何を持続させたいのか。
 
炭素の排出権限を売買しているところを見ると、結局、今の経済体制を維持したいだけなんじゃないかと思えてくる。
 
利殖をもとにする経済へのアンチノミーが無いことが不思議で仕方がない。
 
「言ってることと、やってることが違う。」
 
ホメーロス的史観もここまでくると、歴史修正主義にさえ思えてくる。手のひらをかえすように主張を転換し、一元的なものの見方に恐怖を感じる。西洋では、デリダガタリへの理解は及んでいないのだろうか?
 
利殖をもとにする限り、緩やかな死を待つのみかと思う。
 
 
混沌、七竅に死す。