多様性と調和

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やっぱりわからない。
オリンピックのコンセプトで「多様性と調和」ってのがあるらしい。
 
多様性=混沌と捉えてしまう自分がいけないのかもしれないけど、「一人一人の違いを認める」ことで「調和」できるような甘い世界ではないと思う。
 
つまり今回のコンセプトは「混沌と調和」という事なのだろうか。
それであれば、調和の対義語としても丁度いいように思える。
 
でもこれじゃあ、天岩戸じゃないですか。
天照大神が出てこないと、大変なことになりそう。

「持続可能な社会」とは一体、誰の/何のための活動か

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 「持続可能な社会」とは一体、誰の、何のための活動なのでしょうか?
 
どこもかしこもSDGsであふれて気持ち悪いです。
人間がそこまで存在し続ける意味も分からないのに、何を持続させたいのか。
 
炭素の排出権限を売買しているところを見ると、結局、今の経済体制を維持したいだけなんじゃないかと思えてくる。
 
利殖をもとにする経済へのアンチノミーが無いことが不思議で仕方がない。
 
「言ってることと、やってることが違う。」
 
ホメーロス的史観もここまでくると、歴史修正主義にさえ思えてくる。手のひらをかえすように主張を転換し、一元的なものの見方に恐怖を感じる。西洋では、デリダガタリへの理解は及んでいないのだろうか?
 
利殖をもとにする限り、緩やかな死を待つのみかと思う。
 
 
混沌、七竅に死す。

新しい修行

新しい修行が新設されたそうなので、共有します。
これも京都式修行の1つになるのでしょう。
最近、巷では修学旅行、略して「修行」と言われています。
どういった修行かと言いますと、
行く予定だった場所をオンラインで見せつけ、煽られる。
だが、その怒りや口惜しさをグッとこらえるという、かなり難易度の高い修行の1つです。
今回は青森で実施され、若者たちが体験したようです。
若さゆえの怒りのおさめ方を学ぶ機会になったそうです。
是非このまま取材を継続していただき、オリンピックが開催されることについて、
どのような考えを持っているのかもヒアリングしていただきたいものです。