Wave machine
波
宇宙物理学でいう写真とは波を画像化したもののことをいうそうだ。
重力波という波を画像化できる望遠鏡も出来た。
確かに波だ。
私が使っているものは光を画像化するデジカメであるが、
これもまた、波である。
どんな波をとろうかな。
人を撮る。
人から出ている波を撮る。
光というものは、やはりなにか、その見えているものだけを撮っているのではないのだろう。
時々出会う。
人を撮っているのだけれども、それがなにか言葉の世界を超えて
語ることを許さない人物画像に。
僕は眉をしかめてみている。
ここに映っている人はどんな人なんだろう。
説明を聞いても納得できない。だって、そこに写っているのはその説明以上のものが写っている。
でも、それは説明できない。
光とは、そういった意味でそこにあるもの人を的確にうつすのだと思った。
光の観測器もなかなか捨てたものじゃない。
重力波で撮った人はどんな風に写るのだろう。
そんなカメラが持ち歩けるようになったら面白そうだ。
陽子ビームをぶつけてしまえ。
ニュートリノ光線発射。
なんとかレンジャーが出てきそうです。
(ということを考えると、ファインダーという装置の重要性が見えてきます。波に没頭するために、それはとてもとても重要なのだと。)
僕の目は千里を見通す
窓からみえる木陰には蜥蜴がいる
あの青空が大きな熊に切り取られ
干草の中にリンゴが一個眠ってる
僕はこの世とあの世を見通す目を持っている
坂を下る馬車が見えた
川にはたくさんの糸が流れ
劇場の舞台に蝶々の群れが迷い込む
見えない
見える
塔の上から僕はみた
あの世この世と船が犇く
気概の沸いた狸舟が
僕は千里を見通す目を持っている